コンセプト
マキノ高原の経緯とコンセプト
大正末期から昭和初期にかけ、マキノスキー場が誕生しました。
当時は国内でもスキー場がまだ少なく、1日に1万人を超える来場が何日もあり、画期的な展開を示しました。
中でも大津港発の太鼓汽船(現:琵琶湖汽船)のスキー船が発着したことは今でも伝説として語り継がれています。
その後、県内に施設も充実したいくつかのスキー場が開発され、マキノスキー場は老舗化の波を辿ることとなりました。
そんな中、昭和51年から自然休養村事業(観光版)の展開が始まりました。
当時のマキノ町役場の産業開発課のスペシャリスト達と地元牧野区が一体となり、この場を民宿村の振興する実践交流の場として方向付けました。また、土に生きる県民運動事業も、マキノに誘致展開されました。
同時に昭和62年、国内一円に展開されたリゾートネックレス構想においては「身の丈にあった開発」・「自然を崩す事のない質の高い整備」をコンセプトとして行われ、国内で多くの過剰投資したリゾートが崩れる中、唯一成功事例として国会でも取り上げられました。
マキノ高原の主な開発事業財源は、新山村振興事業と個性ある町づくり事業です。
「マキノ高原温泉さらさ」を平成14年4月開業し、同時進行された湖辺開発(マキノサニービーチ)、収穫開発(マキノピックランド)など周辺の施設とタイアップを積極的に行うことにより、多くの体験メニューの展開を行っています。
平成11年10月1日には、牧野区55件が株主として「マキノ高原観光株式会社」が設立されました。
昨今は、オートキャンプ、トレッキング&ウォーキング、体験学習、グラウンド・ゴルフ、自然散策など年間約35万人の方にお越しいただいています。
実際の体験学習の中身については、地元「マキノツーリズムオフィス」主導のもとで、企画、手配、打ち合わせなどを行っています。宿泊に関しては”クラスづくり”を主に置いた民宿による分宿体制を取り、新クラスの始まりの”和”ができるよう案内をしています。
また、体験メニューに関しては、専門冊子を制作し、民宿の各経営者・マキノ高原観光株式会社社員・観光協会・市役所が一体となり、毎年末に近畿・中京方面の学校へ営業活動を行っています。
年間約40校8,000名あまりを受け入れています。
マキノ高原の背後にある「中央分水嶺・高島トレイル」のルートを使用し、水源の森ブナ林の案内や近畿1,400万人の水の源などを紹介し、里山保全や自然の大切さと語りトレッキングガイドも行い、昨今のトレッキングや、森林セラピーブームにも対応しています。
また、「20年後に森を作ろうプロジェクト」を立ち上げ、リフトを撤去し使用しなくなった第2ゲレンデに価値のある森を作り、癒しや自然観察の場として利用できるように、コナラ・クヌギ・エノキを植栽しています。
生物多様性に遵守し、「萌木の国」として近い将来、生まれ変わります。

マキノ高原は、”自然”・”交流”・”健康”をコンセプトとし、
自然景観を活かした質の高い観光整備を目指しています。